=HE6 episode:03-4=


半端な危機意識なら無い方がマシだと、博士は言った。
結果から言えば、ニグリ・シミアは非常階段を登り切り、ガラスを割って街へ出た。密売所の上に建っていた施設は貸し倉庫だった為、中に殆ど人がいなかったのは不幸中の幸いだろう。ともあれ、凶暴な黒い4本腕の猿が倉庫から飛び出してしまったのだから一刻も早く捕まえねばならない。
消えたニグリ・シミアの背を追って外へ飛び出そうとするハウンドに博士から指示が飛んだ。
『アルベールがバイクで入り口近くにいる。装備を換装しろ。窓からは出るな』
「了解」
 ハウンドは窓からの脱出を諦めて走った。出口に待っていたのは、先ほどエントランスで荷物を預けた召使い…に、扮していたアルベールが、ヘルメットを被り大型バイクに跨っていた。
「アルベール!」
「うわっひどいな、高級スーツが!」
 こんな緊急時に破れてしまったスーツの値段を気にできる彼の冷静さに脱力している暇はない。
 かぎ裂きになった高級スーツを脱ぎ捨てると黒いボディが露わになったが、ハウンドが表皮擬態システムを実行すると、いつもの赤と白のペイントへと変わった。
 胸部装甲を見につけベルトを閉め、腕と膝下をアルファへ換装すると、バイクの後ろに飛び乗った。
『今のところ奴は人に興味を示さず一定方向へ逃げている。先回りして捕まえろ』
 ニグリ・シミアに向けて撃たれた麻酔弾はとれたが、同時に放った小さな発信機は粘着物質と小さな爪でニグリ・シミアの背中へとりついたまま。位置は把握できている。
「ハウリィ、振り落とされるなよ」
 思い切りアクセルを握り込んだアルベールの背でメットを被ると、両側から口元を覆うマスクが閉じた。
 戦闘力に劣る今でも、意のままに操れる特殊ロープ、リーシュならばニグリ・シミアを遠距離から捕獲することができるだろう。
 ハウンドが街へ走り出るとその姿に気づいた人々はにわかに歓声を上げる。ハウンドが人前に姿を現すようになってからまだ1年経っていないが、インベル社による宣伝や、アンドロイドであるという物珍しさから注目度が高まっている。
 しかし今の彼は、戦闘に適さないベータ版だ。パフォーマンスはいつもの半分程度、しかも熱暴走の危険を抱えている。
「単独での捕獲は困難です、応援を」
『既に要請した。お前は奴が人を傷つけないよう最善を尽くせ』
「了解」
 サラはインベル社を飛ばして銀河連盟に確認をとり、警察と全てのヒーロー―企業や政府への登録が行われ、街の自警を容認されている人々―に応援要請とニグリ・シミアの位置情報を送った。
 ハウンド一人で事件を解決することにこだわっていたインベル社にとっては手痛い誤算だが、凶暴なエイリアンが街に放たれればそんなことも言っていられなくなる。これで怪我人や死人が出れば、インベル社の不手際として手柄どころか汚点にすらなり得るからだ。少なくとも「猿」を地上に逃してしまった時点で、「ハウンド」が隠密を行った事実は伏せなければならなくなった。サラやハウンドの意志とは関係なく、ベータ版の機体はしばらく不祥事と共に隠蔽されるだろう。珍獣マニア、Mr.ドッジの動向に注意を払って監視を続けた結果、猿が飛び出してくるところに遭遇した―シナリオはそう書き換えられる。
 せめてアルファ機体を丸ごと外で待機させ、コア部分だけでもすぐ換装できるようにしておけば良かった。いや、まだ機体丸ごとの換装はラボでなくてはできない。どちらにしろ、危険と隣り合わせの任務だったのだ。
 歯噛みするサラの目の前の画面には、アルベールのバイクで移動するハウンドと、ニグリ・シミアの位置が示されている。もう二つの点はわずかの距離に迫っていた。
『誰か来るまで時間稼ぎだ。南方向、D43地区へ追い込め』
  「了解」
 ハウンドはいつもの端的返事をして、位置情報を頼りに「猿」を追った。D43地区は町はずれに位置している廃墟群だ。不本意にも街中で追走劇を繰り広げる羽目になった時、周りの人や建物などに被害を出さないため、ヒーロー達がターゲットを追い込む場所として使うため、手つかずの土地となっている。
「奴の前に出る!準備しろハウリィ」
「了解した」
 リーシュをすぐ伸ばせるよう準備をし、先回りした道で目にしたニグリ・シミアは、人を襲わず誰かから必死に逃走していた。
 屋根や車の上、電柱や街灯を飛び移りながら物凄い勢いで逃げるその背を、蛍光イエローのフード男が追っている…休みなく喋りながら。
「こらこらこらこらモンキーちゃん、跳ねるのはベッドの上だけにしとけよなァ!ママとお医者さんに言われなかったのか?落ちて頭打ったら脳震盪じゃすまないぜ、俺そんなモンキーちゃん見たくないワ!」
 驚くべきは、ニグリ・シミアのむちゃくちゃな逃げ方と、男の追い方がそう変わっていないということだ。とにかくすさまじい跳躍力で屋根の上を走り、飛び移っている。
「モンキーちゃんなかなか素早いな!もしかしてこの俺とフリーランニング勝負しちゃう感じなのかそうなのか?この俺の無敗記録に名前刻んじゃいたいのねモンキーちゃん!だったらまず名前を教えてくれないかなーワッチャネーム!?あっでもやっぱり俺が当てたいわ名前!言うなよー言うなよー…やっぱり虫コング?それとも虫モンキー?もしかして虫ゴリラ?どうモンキーちゃん正解あった?どれが正解!?」
 よくもこれだけ跳ねまわりながら喋れるものだと感心する。ごついスニーカーとグローブとゴーグルぐらいしかまともな装備が無い。恐らくサイクリング用と思われる膝サポーターをジーンズの上から巻き、蛍光色のロングパーカーの上からゴーグルを嵌めているだけの、シンプルな恰好だ。
「あのやかましいのが応援のヒーローか!?」
 謎の男の登場に出鼻を挫かれ、バイクで再び追跡しながらアルベールが叫んだ。
「あれは…」
 ハウンドはヒーローのリストにアクセスし、同じ特徴を持つ人物を見つけ、アルベールに伝えようとした。
「おーおーこのチャルラタン様に名乗りもせずに勝負だなんてクールじゃねェか」
 が、本人が盛大に名乗ったのでアルベールも思い出したらしい。
「いいよいいよノッてやろーじゃないの!!勝負がつくまでお互い名乗りは無しだ!わかったかモンキーちゃんおいもしかして俺の声小さいかなァおいおーーーい?」
 ほんの数秒前に盛大に名乗ったことを忘れているこの特徴的過ぎる人物は、若手ヒーローのチャルラタンだ。ごく一部の者にしか存在しないという稀有な力、俗に言う所の「超能力」を有しているらしい。その実情が肉体強化なのか、サイコキネシスなのか分からない。データが少ないのはまだ活躍があまりない為と、スポンサーがいないことによる。そのため装備も自前らしく、名が少し売れた先からMr.低予算と囁かれているが、この奔放すぎる男のスポンサーに名乗りを上げる企業はなかなかいないだろう。
「博士、無所属のチャルラタンが応援に」
 ヒーローの登録証には全て発信機が入っていてお互いの位置を把握できるようになっているのだが、やはりというか登録証を持ち歩いていないらしく、マップに彼の位置は表示されていない。
『聞こえていた…猿が二匹になったかと思ったよ』
 アルベールが吹き出して一瞬ハンドルさばきが乱れた。あまりの言いぐさだが、納得できてしまう。
『しかし丁度いい、このまま真っ直ぐ行けばD43へ出る。なんとかして彼に作戦を伝えろ』
「やってみます!」
 とは言ってみるものの、チャルラタンはまだ喋りつづけている。
「言っとくけど無視してりゃあこの俺が黙ると思ったら大間違いだかんなー黙るわけにはいかねーんだよ、なんてったって俺は死ぬほど陽気がウリのチャッターボックスだぜフゥーー!!モンキーちゃんが黙ってる分喋ってあげるから安心してネ!分かったらいい加減振り向いて私寂しーいーねぇおいモンキーちゃん聞けよなーおいコラモンキーコラ」
 ニグリ・シミアが必死に逃げるのも分かる。きっと、マシンガントークで背中を蜂の巣にされているような気分だろう。言葉の途切れ目に声をかけようにも途切れ目が一向に見当たらないので、ハウンドはバイクを彼の手前へ寄せて叫ぶ。
「チャルラタン!」
「あ?誰か呼んだか俺の名前!」
 意外にも一度で反応が返ってきた。嬉しそうに斜め下を見て、ハウンドをそのゴーグルに映した。
「応援感謝する!このまま真っ直ぐ南へ誘導してくれ!」
「あーーーっ!?お前アレだろロボットのハウンドエレクトロン!?すっげーマジだ本物だあとでサインくれよサイン!」
「話は聞いてたか!?」
「オーケーオーケー、このまま南へバカンスだろ?猿だから南の島に返すんだろ?聞いた聞こえたノアイプロブレーマ!」
 どうやら話を聞かないのはこの猿も同じらしい。どこかでイエローモンキーと呼ばれていそうだが、彼の英語はラテン訛りだ。
「D43地区の!!廃墟へ!!」
「あぁ?なにそれ俺のホームじゃねーの!?うわーどうしようお招きしちゃう!?モンキーパーティーしちゃうわけ!?やっべーよバナナねえよおもてなしできねぇよー」
 どうやら話題の若手ヒーローが廃墟地区のどこかに住んでいることまで分かってしまった。そして恐らく許可は得ていない。とにかく今は、話が正確に通じたのかは微妙だが、とりあえずその地区へ追い込みたい意図が伝わったことを喜ばねばならない。
 そうこうしているうちに、真新しいビル群がふっつりと途絶え、朽ちた工場跡が現れた―D43地区だ。飛び出すようにして、ニグリ・シミアとチャルラタンが、灰色の街へ消えていく。
「アルベール、ここまでありがとう」
 素早くバイクを飛び降り、ハウンドは身一つで2匹の猿を追った。






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